2014年11月25日火曜日

永続的循環型・・つーの目指してみる・・かな?





夏播きニンジン 出荷してます。
今回だけかどうかわかりませんが、私的には春ニンジンと比べて夏播きのほうが糖度も高く、味がいいように感じます。




一括りに有機栽培でも農家によって色々なやり方、考え方があって
圃場をとりまく環境やら、例えば味や形、品質にこだわりを持つか、収量や作業効率を重視するか、など人それぞれ。

有機無農薬栽培は値段が高いけど美味しい という誤解。
有機無農薬栽培はそれだけで安全 という誤解。
手間が掛かるというイメージがあるだろうけど、それは多分正しい。

そんな栽培方法だけど山の中で作業してると環境が栽培方法にも大きく影響するんだなってことがわかってくる。

慣行農法と比べると順調な生育のため 化成肥料に対して天然資材を原料とする肥料(堆肥・ボカシ肥・緑肥など)を使う。 病気が出れば 農薬に対して「天然由来の成分」で防除を図る。

つまり慣行であれ有機であれ 餌を存分に与えて病気になれば対処療法を採るわけで大枠で同じ・・と思う。

野菜を生産するにあたって、圃場外から必要な養分を持ち込んで生育補助をする。野菜に吸収されたら不足になった養分をまた補給する。多すぎて、あるいは必要養分のバランスを過分に欠いて生育障害が起きたら対処する。

ニンジンでも白菜でもホウレンソウでも大根でもそれだけがまとまって一斉に生えるのは自然界にとっては異常な光景なんだろうな、という実感が郊外の畑で研修中にはわからなかった。

特に自然栽培に強い関心があるわけではないし、環境保全に使命感も持ってないけど

山を歩いてみて身近に感じて、空気を感じて暮らしてみると

なんだか俺って無駄なことに必死になってんじゃね?としばしば思うようになった。

土作り・・肥料をやって、できるだけ深く耕して、効率を上げて収量を増やす努力をする。
農業としてとても大切なことだけど、化石燃料をガンガン使って教科書通りに作業しても、結局はすぐそこにある山に生えている草木に敵わない・・ような気がするのだ。

耕さずとも肥料を与えずとも、柿の実も栗の実も甘く、山菜も美味しい。

人工的に手を加えるベスト範囲はどこまでなんだろう。

重たい堆肥を汗かいて一生懸命に撒いて・・多すぎて病気になり、少なかったといって収量が上がらず、草だらけになれば止むを得ず除草剤に頼る、とするでしょ?。

せっかく堆肥で土が肥えてミミズやら微生物やらが増えたとしても、収穫目前の手をかけた野菜に元気が無くなれば一般的には薬剤で対処療法をとるでしょ?

例えばちょっとでも楽したいなとか時間を短縮したいなとかの理由で薬剤なんか使えば、お金かけて増やした土壌中の微生物達を幾分か自らの手で殺すことになる側面も含んじゃったりするかもしれないわけで。

一方何もしない山は今日も元気いっぱいで。

俺は一体何してるんだ?って。

奇跡のリンゴ じゃないけど 山を見てるとそんなこと日々考える。

自然界のこと生態系ってこと全然わかってないじゃん、と思うわけで。

それを少しでも理解できれば、それが一番コストのかからない、環境に負担をかけない、モアベターな農法になるんじゃないかと。

では実践してみよう。

単純に純粋に、それは昔からずっと普通にお百姓さんが日々営んできた何でもない日々の積み重ねを多少真似てみること。

おじさんは山に柴刈に。

 
 


砕いた柴を畑にいれて

さて、どうなるか。

すぐそこに 山 がある。

山には 分解 も 浄化 も 生 も 死 もあって 季節とともに廻って 還る。

そこに人の手が加わって 里山 になり、人がいるから 暮らし ができる。

たぶん ずっと 続けていける暮らしが 循環 できるんだろうと思うのだ。







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