2015年5月4日月曜日

有機栽培から未来へ


野菜とは

生食または調理して、主に副食用とする草木作物の総称。

野・・とは

1-のはら 2-人の手が加わっていないこと。自然のまま。3-官途につかないこと。民間4-ありのまま、洗練されていないこと5-範囲6-なじみ従わないこと。

菜・・とは

食用の草。酒や飯の副食物。

(広辞苑より)

 

のはらにある、人の手が加わっていない、自然のままの食用の草。

 

一文字ずつ調べてみると、なんと野菜とは。

 

あらら、ではワタシが畑で育てている野菜はいったい何なのだろうか。

毎日畑で収穫するための作業は何なのだろうか。

 

何より自分のために、そして家族に、未来を担う子供たちに・・・そう思って野菜を育てている。

自然は文字通り、自ら然り・・「あるがまま」の意。

山の中で身近に「自然」を感じながら仕事をしていると、これって必要なのかな?無駄なことしてる?と自問してしまうことが度々ある。

 

サラリーマンから農家になって何より変わったのは生活習慣だった。朝は目覚まし無しでも夜明けとともに目覚めるし、風邪もひかず、ご飯はいつもおいしい。貧乏だけどストレスは無い生活。そうなると以前と比べて他人に対しても寛容になったかな?と感じるし、我慢強く、起きたことがらをそのまま受け入れられるようになってきていると感じる。

 

野菜も同じかな? ふとそう思った。

 

ストレスなく畑で大きくなってもらうにはどうしたらいいのかな?

おいしさって何を基準にするのかな?

 

栄養素? データ? 肥料? 農法? たぶんどれもしっくりこない気がする。

 

畑に肥料なり、堆肥なり入れるでしょ? 野菜が大きくなるってことは、その肥料を野菜が吸収する。だから次作はまた少なくなった分を畑に補充する。

 

では山は? 山の木はなぜ肥料なしでも大きくなるのだろう

 

有機農法では化成肥料や一般農薬は法律で使用できないことになっている。

だから天然由来の肥料を使って野菜を育てるけど、施肥の基準は野菜によって窒素が、リン酸が、カリが、それぞれいくら位必要か、という栽培基準なる指標を参考に化成肥料ではない資材で補おうとするものであって、その意味では、より直接的に必要栄養素を与えられる慣行農法と資材の違いはあれど、考え方に何ら違いはないように感じる。

減った分は補充する、という考え方ね。

 

10aあたりN(窒素)が例えば20kg必要だとしたら、化成肥料であれば簡単。単肥を20kg撒けばいい。牛糞堆肥ならおよそ10kgの中に窒素が何パーセント含まれているかを
主な基準に必要量を畑に撒くわけだけど、それを自然か?と考えるとどうもおかしい。

 

そもそも同じものが整然と並ぶこと自体が不自然だけど、自然界にも群生地というものもある。そこには毎年同じものがほぼ同じ範囲に無農薬無肥料でちゃんと育つわけだ。

何も施さないのに。人間の手を加えずとも。

 

一方、畑は矛盾だらけだ。一定の面積に例えば牛糞が毎年1トンも2トンも必要なこと自体おかしい。野菜が吸収するからだけど、化成肥料にしても人間が作り出した栄養素を人間が作り出すことのできない植物の種が毎回補充してやらねばまともに育たないということがワタシにはどうも納得がいかなかった。

 

本来必要なのは 空気 水 太陽 土 だけだ。

土は長い年月をかけてそこで育ち、そこで命が尽きて・・幾度もそれを繰り返してできた生き物の住処だ。命を糧としてそこで暮らしてきたものたちの遺物財産。そして、そこで暮らす今現在の生き物たちの住処でもある。私たちも含めて。

 

そうであれば、そこに無いものをわざわざ他から持ってきてそこに入れる必要はないはず。

 

山と畑は違う。山の中で野菜は無農薬無肥料でまともに育つとは考えにくい。

山の木はそこにあるものだけで育つ力を持っているからちゃんと育つ。

そこにあるものだけで育つ理由は、次世代のために自らが土に還ることができるからだ。

土は生き物。いろんな生き物の住処。

であるなら、野菜が育つに必要な住処を維持してやれば畑で野菜は無肥料無農薬で育つのではないか。自ら生きるために、それぞれが生きることで役割を果たし、循環することで命のリレーが繋がれていく。

その場所で生きられる仲間が揃うこと。ワタシはその一員となり、その環境を維持すること。

 

不自然なものは早く土に還そうとしてくれる。その役割を担うことで生きることができる。違うものがそれぞれお互いを否定せず、調和とバランスを保ち、命をつなぐ。

 

バランスを欠けば・・きっと病気になる。 生きる力を持った野菜は与えられずとも必要な養分は自ら作り出し、自分らしい味を醸し出す。

 

会社の中の息苦しさを思い出す。

誰が悪い、これのせいで失敗したからこれを改めよう。これは不必要だから排除しよう。

もっと短時間に高収益を上げよう。無理だけどやろう。

そうして取捨選択しながら成長してきたわけだけど、企業にも寿命があるようにいつかは破綻する。

 

ワタシは誰かが負担を強いられれば、そのシステムは長続きしない、と常に思っている。

やはり、農家は命をつなぐ役割を担える存在であることが望ましいと思う。

足りないものを補充するという考えは「土」を生き物ととらえられていない感じがするけど、どうだろう。

 

植物には栄養素が必要だろう。窒素もリン酸もカリもミネラルも。

だけどそれは、その生きているその場所全体で作り出すことがきっとできる、と思う。

 

山は山で、畑は畑で。

 

自ら生きる力を自ら作り出し、生きる力を持ったその野菜を食べて、

みんな違ってるけどみんな必要で、生きていられるのはみんなのお蔭で、自分か生きることで誰かのためになっている。そう感じてもらえる野菜を世に送り出す。

多分、そんな農家になりたいんだと思う。

 

食べ物こそが生きること。食べ物が人の間で生きるバランスのとれた「人間」も作るのだろうと思う。
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